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ご存じですか?七夕の由来と地方に残る風習

公開日2020/07/06 更新日2020/07/07

7月7日は七夕ですが、「天の川で隔てられ会うことのできない織姫と彦星が、年に一度だけ会える日」として言い伝えられています。でも、どうしてこのような伝説が生まれたのかは、意外に知られていないのではないでしょうか。

七夕の由来

広辞苑によると、七夕は「五節句の一つ。天の川の両脇にある牽牛星と織女星とか年に一度相会するという、七月七日の夜、星を祭る年中行事」とあります。

七夕の起源は、中国の風習である乞巧奠(きこうでん)とされています。また日本には、7月7日に行われる「棚機女(タナバタツメ)」という、巫女が水辺で神の降臨を待つという民間信仰がありました。それが合体して、七夕になったという説が有力なようです。

日本では、平安時代の貴族が、中国の乞巧奠の風習を真似て始めたようですが、徐々に広がり、庶民の行事として定着するようになったのは、江戸時代のようです。

新暦と旧暦、そして8月7日の七夕

ところで、各地で行われている七夕祭り(7月7日)の日付を見ていくと、新暦と旧暦、そして盛大な七夕祭りで知られる仙台や北海道などでは、8月7日に行われています。その理由は、明治期に太陽暦への改暦が行われたことによります。

地方によっては、新暦では行事本来が持っている季節感と、違和感が生じてしまうため、旧暦や8月7日に行っているようです。ところで7月7日といえば、本州各地では梅雨時期です。

雨が降ると、天の川の水量が増え、せっかくの織姫と彦星は川を渡って会うことができなくなります。また、空を見上げて、織姫(こと座のベガ)も彦星(わし座のアルタイル)も、そして天の川すら眺めることもできません。

ですから、旧暦や8月7日に七夕祭りを行うことは、理に適っているのかもしれませんね。また、年に一度しかない織姫と彦星の逢瀬も3度あることになり、天の粋な計らいともいえそうです。

地方によって違う七夕の風習

ところで、皆さんは七夕には、どのような思い出があるでしょうか。願いを書いた短冊を笹に飾った人もいるでしょう。

例えば北海道では、七夕の夜に子どもたちが提灯を下げて「ローソク出せよ~」と、近所の家を回り、ローソクやおやつをもらって歩く風習があります。

また、七夕がお盆(7月15日)を迎える準備としての七夕盆とする地域や、豊作を願う行事、農作業での疲れを休めるための休日にするなど、いろいろな行事と合わさって地域ならでは七夕祭りとなっていったようです。

古くは、5色の染紙を短冊形に切り、詩歌を書いて長い竹に結んで近所を練り歩く「笹飾り」、書道の上達を願っての「芋の葉の露で書道」、着物を星にお供えすることで着物に恵まれるということから「星に小袖を貸す」という風習もありました。

七夕伝説とは?

子どもの頃、夏の夜に星空を眺め、川のように見える天の川をみつけては、両親や祖父母から七夕伝説を伝え聞いた人も多いでしょう。

織姫の仕事は機を織ることですが、仕事ばかりの娘を心配した母親の天帝が、天の川の向かい岸にいる彦星と引き合わせたところ、2人は恋に落ち、さっぱり仕事をしなくなったそうです。そんな2人の姿に怒った天帝は、天の川の両岸に引き離してしまいました。

引き離された2人のあまりにも悲しむ姿を哀れに思った天帝は、一年に一度だけ会うことを許したそうです。それが7月7日の夜です。

普段から星空を見ているビジネスパーソンの方々は少ないと思いますので、たまにはゆっくり星空を見上げるのも良いかもしません。

星空がよく見える7月7日に、東の空を見上げ、こと座のベガ(織姫)と、わし座のアルタイル(彦星)を探してみてはいかがでしょうか。

まとめ

首都圏では、夜空に煌めく星を眺めることも難しいですが、昔の人は、夜空を眺めてはいろいろな想像を膨らませていたようです。ところが、織姫までは地球から25光年、彦星は17光年で、2つの星の間は16光年ということです。

現実的な話をして恐縮ですが、光の速さである秒速30万キロメートルで走っても16年かかるそうです。どう考えても、年に一度の逢瀬は不可能なようですが、あくまでもロマンあふれる伝説ということで。

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